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後漢の歴史について

前漢は王莽により簒奪されたが、王莽の政治は周代を模して、現実からは遊離していたために国内は混乱し、外征でも失敗を重ね、収拾のつかない状態になった。この状況で山東省で呂母の乱が勃発したのを皮切りに全国で反乱が起こり、最終的に南陽(現在の河南省南陽市)の皇族傍系の地方豪族である光武帝により平定された。(新から後漢への移り変わりは新末後漢初を参照)

銅馬や赤眉など多くの民衆叛乱を吸収して自らの勢力とした光武帝は、民衆は疲弊し、それが兵糧を給じる軍兵は相対的に多いため、材官、騎士、都尉などの地方の駐在軍を廃止し、徴兵制から少数の傭兵制へと切り換えた。また本来は中継ぎが役目である尚書を使い、三公ら大臣の権力を奪い皇帝へと集中させた。しかし後に皇帝が若くして亡くなると権力は真空となり、皇帝の権力を利用できる宦官と外戚による権力争い、それに儒教の振興による知識人官僚の反抗が展開された。政局の混乱に耐えかねて民衆叛乱が頻発するようになっても、地方軍備の欠如が裏目に出て為すすべがなかった。

光武帝と二代目明帝を除いた全ての皇帝が20歳未満で即位しており、中には生後100日で即位した皇帝もいた。このような若い皇帝に代わって政治を取っていたのは豪族、特に外戚であった。四代目和帝以降から、外戚は権勢を振るうことになった。宦官の協力を得た十一代目桓帝が、跋扈将軍と揶揄される程専横を極めた外戚梁冀を誅殺してからは完全に宦官が権力を握るようになった。宦官に対抗した官僚もいたが、逆に党錮の禁に遭い後漢の衰退を止めることは出来なかった。

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2007年09月26日 15:55に投稿されたエントリーのページです。

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